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「お父様、聞いてくださいませ。
昨日また、不思議な夢を見たのです」
日差しうららかな春の日。
咲き誇る桜を中庭に眺めながら、豪奢な着物に包まれた稚児がその年には似合わぬほど饒舌に語りはじめる。
いつも、夢の話をすると左大臣である父は嬉しそうに笑い、良い子良い子と頭を撫でてくれるので、その日もきっとそうなるだろうと幼き姫は思い込んでいた。
「――それでね、床に臥せている方が血を吐いてお亡くなりになるのよ」
善も悪も判断できぬ齢(よわい)。
姫は昨日見た夢を、ただ夢として無邪気に父親に語り続ける。
父親の顔色が蒼白になっていることにも気づかずに。
「そうして、それを止めようと祈祷していた方も同時にお倒れ遊ばせて――」
「もうよい」
突然、父親が声を荒げ、床をどんと叩いた。
姫は驚いて口をつぐむ。
「まぁ、いかがなさいましたか」
後ろの間に控えていた女房が慌てて飛び出してきた。彼女は、この幼き左大臣家の姫の乳母でもあった。
「中の君を奥の部屋へ通し、私が帰宅するまで何人とも触れさせぬように」
それだけ口早に言い残すと、左大臣 藤原 惟嗣(ふじわらのこれつぐ)は屋敷の者がかつてないほどの慌てぶりを隠しもせずに足早にどこかへと出かけて行った。
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