第1話

2/2
前へ
/2ページ
次へ
借金に追われ続けて逝った藤田まこと厳しすぎた晩 年 (ゲンダイネット) 2010年2月24日 テレビは連日、17日に急逝した藤田まこと(享 年76)の追悼特番を組んで、故人を偲んでいる。 代表作が多く話題は尽きないが、一方で藤田といえ ば切っても切れないのが借金問題。 ピーク時は30億円ともいわれた莫大な借金。そ もそものきっかけは、幸枝夫人が「家計の足しにな れば」と、昭和46年に豊中駅前に開いたバーにま でさかのぼる。店は繁盛して2号店、3号店をオー プン。平成3年には京都・嵐山に中華料理店「主 水」を開店。翌年には豊中市内に姉妹店も開き、大 阪・北新地ではクラブやブティックも経営する盛況 ぶりだった。 同じく平成3年には豊中に敷地380坪、20部 屋の大豪邸、通称・主水御殿を18億円かけて建築 して我が世の春といってよかった。が、直後にバブ ルが崩壊……。店は倒産し、手持ちの不動産は暴 落。残ったのは30億円の借金。 税金滞納で差し押さえられた“主水御殿”は4億 3000万円で競売落札。藤田は自分の時計や夫人 の宝石はもちろん、娘の指輪まで売り払い、借金の 返済に充てた。この頃は「M資金」詐欺に遭ってい たことも過去のインタビューでは告白している。 自宅は箕面市内の家賃40万円弱の4LDKマン ションに転居。当時は夫婦、息子、娘ら一家6人が ここで暮らし、藤田が最期を迎えたのもこのマン ションだった。 借金30億円は10年間、必死に仕事を頑張って 完済したと宣言した藤田だったが、実は夫人名義の 借金5億円超が残っていたことが昨年発覚。同9月 には大阪地裁が藤田サイドに3億円の支払いを命じ る判決を下した。 「表ざたになっていない借金はまだまだある。そし て、この10年というもの、関西の芸能関係者で藤 田と付き合いのあった人間はいなかったはず。皆、 藤田にカネの無心をされて次第に疎遠になっていっ たから……」(事情通) 晩年の藤田は親しいテレビ関係者に「借金を返し 終わったら大好きなハワイでゆっくりしたい」と漏 らしていた。しかし、働いても働いてもギャラは返 済に消える。病との闘いもあり、厳しく寂しい晩年 だったとしかいいようがない。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加