射手

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射手  彼が物心ついたころには、家族など居なかった。それどころか人間としての姿もなかった。鏡を見れば、黄色く分厚いクチバシと、鋭いワシの目に睨まれたが、生まれたときからそうだったので大して気にならなかった。キメラ症候群とかいうウィルス感染症のせいだが、そういう話は今の彼には余分なぐらいだ。  まさに今、彼が気がかりなのは、三十メートル先に見えるホテルの窓の中だ。彼は、ホテルの向かいのくたびれた木造アパートから、かれこれ数時間、その窓ばかりを気にかけている。もう深夜も1時を回っていた。  彼は部屋の電気を消し「しくじるなよ」こうつぶやいた。  彼――フランシス・カーターは、目を閉じて狙うべき男の顔を思い出す。スーツ姿で、白髪の目立つ髪。深く鋭く刻まれた皺が印象的な男は、先ほどから気にかけている窓にそろそろ現れるはずだ。  彼は目を開いた。窓を開けて、改めて向こうを眺める。豪雨のせいで向こうのホテルまでの景色は白く霞んでしまっているが、彼がたじろぐことはない。彼にははっきりと見えたのだ。向かいの部屋に動きがあったのが。  彼は、彼の武器を持ち、しっかりと構えた。弦に矢をつがえ、引き絞る。彼はいつでも、この安っぽい紫色の、アーチェリーの弓だけで仕事をこなしてきた。  豪雨の向こうを睨みつける。いや、狙う。開け放ったアパートの窓枠はぼやけて消え失せ、向こう側のホテルの窓だけが拡大され、視野に貼り付けられた。雨粒がガラス面を駆け下りている。  その向こうに、呑気そうにスーツの男がやってきたのを彼の目が捕らえた。タイミングは完璧。  ワシ頭の冠羽が広がり、両腕の羽毛がざわついた。  そして、弦を引いていた指を離す。矢は豪雨に打たれながらも、狙い通りの軌道を描き、スーツの男の胸へと向かっていく。そして、ホテルの窓を突き破り、鮮紅色の霧を吹き上げた。 ふと、彼の視界が元に戻る。男が、胸に矢を立てたまま、出窓のあたりでのたうっているのがぼんやりと見える。しばらくそうした後、男は出窓に突っ伏し、痙攣しはじめる。そして、奇妙な姿勢のまま動きを止めた。
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