20

3/40
前へ
/40ページ
次へ
「ハンカチだけじゃ足りないので、これで拭いてください」 「え、……いや、いいです」 「かけるだけでもいいので」 エンジンをかけながら背広を手渡す。 彼女の服はびっしょり濡れていて、すぐにでも乾かさないと風邪を引きそうだ。 車を発進させると、観念した彼女はカーディガンを脱ぎ、俺の背広をやっと羽織った。 その様子を盗み見ながら、俺は何かが自分の胸をざわめかせたのを感じた。 彼女の今日の格好は、大人っぽく、キレイめな紺のワンピース。 こういう姿を見るのは、もちろん初めてだ。 そして、半分雨で取れてはいるものの、目元や口元に、いつもは無い色香というか、艶っぽさ。 おそらく、入念に化粧を施して……。 そこまで考え、それが今日のこの約束のためのものだと思い至ると、隣に座って、ずれる俺の背広を何度も肩に上げながら、所在なさげにしている彼女が、とてもいじらしく、可愛いらしく思える。 そして、同時に生じる、多大なる申し訳なさ。 「緊急の仕事でした。 通常、土曜は早めに上がれるのですが、顧問先で急遽問題が発生して、税務調査も入ることになり、先程までその会社の社長と……。 ……と、言ったところで、言い訳ですね。 すみませんでした」 素直に、心から謝る。 そして、連絡を入れようにも連絡先が分からず、電話ができなかったことも。 「いえ……、こちらこそ取り乱してしまって、すみませんでした」 運転しているので前を向いているが、彼女がしっかりこちらを見て、深々と頭を下げたのが分かった。 「道野さんが謝る必要はありません。 自分から言っておいて大変失礼なことをしたのですから、もっと罵倒したり罰を与えたりしてもいいですよ」 ここまで待たせ、雨に濡らせてしまったのだから、そうでもしてもらわない限り、こちらの方が気が済まない。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4244人が本棚に入れています
本棚に追加