儚き露

5/5
前へ
/96ページ
次へ
「1階の住人でぇ、家賃半年分滞納してたのに、あの事件のあと全額一気に払った男がいるの。こないだエントランスでそいつにバッタリ出会ったら、いきなりドライブに誘われたの。 今まで挨拶すらしなかったのに。新車買ったからどこか行かない?って。 気持ち悪いから適当に断ったけど。 競馬か宝くじでも当てたのかね~っておばあちゃんと話してたの。あいつがやったんじゃないかな?」 うんうんと話に相槌を打ちながら、のえると事件の被害者の容貌がどこか似ていると感じていた。 人に言えない仕事をしてまで大金を貯め込んでいた被害者には、きっと何か夢があったに違いない。 のえるのラインはいつも、いちいち人に伝えなければならないような内容でもない。だからすぐにメッセージを読む必要などないと分かってる。 次の休みはいつ?とか。こんな服を買っただとか。知り合って間もなく彼女は俺を「あーちゃん」と呼ぶようになり、美咲は未だに「あっくん」と呼ぶ。 美咲に返信するよりも、のえるに返信する方が億劫だと思った。 年甲斐もなく、なぜ踏み込んでしまったのか… 小さな笑いが漏れる。のえるの若さに魅了されてしまった俺は愚か者だ。それはすぐに重荷になると分かっていたはずだった。 睫毛を閉じると同時に、指先からスマホが露のように滑り落ちて固い音が響く。 始まったばかりの恋だけれど、 俺はあの子を幸せには出来ないだろう。 【完】
/96ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加