第1章 蠢動(しゅんどう)

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平安京は、唐の都長安を模して、条坊制により都市計画されたと、言われる。 最も広いのは、北辺中央の大内裏から南走する、幅員約28丈(約90メートル)の朱雀大路である。 次いで、東西に走る幅員17丈(約55メートル)の二条大路。 さらに、大内裏の両側面を南北に走る大宮大路が、幅員12丈(約39メートル)。 平安京を囲む四面の大路は10丈(約32メートル)で、この他の大路は、8丈(約26メートル)だ。 大路と大路の間には3本の小路がある。東西に28本、南北に24本走り、4丈(約13メートル)になっている。 当時の街路の路面構造に関しては、石を敷く路面と敷かない路面が、あったようだ。 牛車の通る路面は、ほとんど舗装されていたと、言えるだろう。 俊基邸の前も、路面が固く締まっていた。 ただでさえ堅固な地面が、牛車で、さらに押し潰されていく。 いかに多くの牛車が通過したか、伺い知れる。
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