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「あんたに婚約者がいるなんて知らなかったもの。私があの家に住んでたら、マズイんじゃないの?」
そこで証はふーっと大きく肩で息をついた。
がしがしと頭を掻く。
「………とにかく、説明するから車乗れよ」
少し苛立ちの滲んだ声でそう言うと、証は再び柚子に背を向けて歩き出した。
車に乗り込むやいなや証は煙草に火を点けた。
よほど我慢していたらしい。
窓を開けてふーっと煙を吐きながら、証は少しだけリクライニングを倒した。
柚子は黙って証が話し出すのを待つ。
やがて一本吸い終わると、証は灰皿にそれを押し付けた。
そうしてゆっくりとシートに凭れる。
駐車場の外灯が、証の白い顔を淡いオレンジ色に染めていた。
「………あいつは、婚約者なんかじゃねーよ」
ボソッと呟いた証の言葉に、柚子はゆっくりと目を見張った。
婚約者じゃ……ない?
「はあっ? だってあの人あんたの婚約者だって言ったわよ!?」
「違ぇよ。……つーか、やっぱりお前、あいつが誰か気付いてねーんだ?」
証はハンドルに腕を乗せ、呆れたように柚子を見つめた。
柚子は眉を寄せる。
「…………は?」
「ホンット薄情な奴だよな。まー向こうも気付いてなかったみてーだからお互い様か」
「な、何よ、なんの話?」
混乱してそう尋ねると、証は柚子の反応を窺うように口を開いた。
「あいつ、鬼龍院 小春だぜ。幼稚園の時同じクラスだった」
「きりゅういん こはる……?」
柚子はぼんやりと証の言葉を反芻した。
その独特な名前と柚子の古い記憶が一致した時、柚子は唖然として証の顔を見つめた。
「えーーっ! き、鬼龍院 小春って、あの鬼龍院 小春……!?」
「そうだよ」
予想以上の柚子のリアクションに、証は面倒くさそうに相槌を打った。
柚子は思わず両手でこめかみを押さえる。
柚子の脳裏に、まざまざと15年前の記憶が蘇った。
鬼龍院 小春。
家系は皇室の流れを汲む、元皇族華族。
父親は宮内庁の幹部トップの、宮内庁長官。
小春なんて可愛らしい名前だが、その実態はまさに家の威光を笠に着た、鼻持ちならないお嬢様だった。
家柄がいいのを鼻にかけ、クラスのほとんどの女子を配下に従え君臨していた、まさに猿山のボス。
逆らうと容赦なく徹底的に虐め抜き、教諭も何も言えずに見て見ぬふりだった。
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