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その翌週、航平は3週間ぶりに練習に参加した。
いつも思うのだが、彼はグラブを手にすると、本当に嬉しくて仕方ないという笑顔を見せる。
俺が指導者を志したのは、こんな風に野球を好きな子供たちに、厳しいだけじゃない、野球のおもしろさを教えたいと思ったからだ。
だから、俺は休みがちな航平を気にかけていた。
そこには、何か予感めいたものがあったのかもしれない…
その日の練習には、初めて母親が同伴していた。
そう、河原で会う『彼女』だ。
練習が終わり、俺と彼女は教官室に入った。
小さな窓からは、コーチたちとグラウンドで遊ぶ航平のはしゃいだ笑顔が見える。
「航平は、産まれた時から心臓に疾患を抱えていて、長くは生きられないと言われているんです」
彼女は、そんな息子の様子を眺めながら静かに話し始めた。
「1歳までは生きられないと言われながらも、手術を重ね、奇跡的に誕生日を迎えることができたけれど、それからすぐに主人に癌が見つかり、あの子が2歳の時に亡くなってしまい…
いつ倒れるかわからないあの子を抱え、途方に暮れた私は、航平を道連れに死ぬことも考えました。
そんな時、一人の医師に出会ったんです。
彼は航平のことを聞いて、自ら主治医に名乗り出てくれました。
そして、あの子に野球という夢を与えてくれたんです。
まだその頃3歳の航平が、その医師とテレビで野球を観るうちに、みるみる明るさを取り戻していくのを見て、私はもう一度この子と頑張ろうと思えるようになったんです…
でも、今年に入って、あの子は3度目の命の期限を切られ…
それでも、野球で甲子園を目指せるか?というあの子の問いに、私は『必ず目指せると』と嘘をつきました。
いつだって、誰よりも自分の死に敏感になっているあの子だからこそ、私はその嘘をつき通すのがつらくて…
私はあの子にこれ以上ありもしない『希望』を与え続けていく自信がないんです。
野球をやるあの子の笑顔を見ているのがつらいんです…」
話しながら、何度も目頭に手を当てる彼女の細い肩が震えているのを、俺はただ黙って見つめていた。
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