幸せひとひら

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あの日。 忘れもしない、珍しく雪の降る。 卒業式。 いつもより少しだけ朝の早い時間、いつもの角で、 私は一平といつものように挨拶を交わした。 「早く出たんだ、一平も」 「今日くらいはね。体育館、使えないと思うけど、見納めておこうと思って」 いつもより神妙な口調の一平が、なんだか可笑しい。 「見納めって。そんな、もう一生来られないみたいな言い方」 笑い飛ばすけど、同時に、喉に込み上げる痛みがあった。 「ま、そだね。ちょっとおセンチになっちゃった。笑って許して」 「オッケー」 「軽いな」 かろうじていつも通りの、私たち。 薄氷を踏むような、私の想い。 細く柔らかく降る雪の、冷たさに目を伏せる。 高校から、一平は寮生活だった。 私たちの住む街も決して都会ではないけれど、 一平の通うK高校は、それよりずっと郊外にある。 同じ県内でも、随分遠い。 私たちはまだ、学生で。お金も無くて。 学校生活が一週間の大半を占めるから、時間も無い。 きっと、しばらく会えない。 見納めておく。 それはきっと、本当は、大袈裟な表現なんかじゃなく。 次にいつ一平と会えるかなんて、分からない。 毎日のように隣で、馬鹿みたいに笑い合っていた日々が、 まだ遠くない過去なのに、どんどん霞んでゆく。 いくら仲が良くても、毎日当たり前のように顔を合わせていても、 そこには何も、確かな約束事なんて無くて。 私が大事にしていたものはこんなに儚いものだったのかと、 胸が張り裂けそうになる。 「百合」 いつから、こんな低い声だったろうか。 「んー?う、わっ」 踏みしめた雪がズルリと滑って、右足が前に放られる。 咄嗟に、隣の一平の制服を掴んだ。 「うおっ」 「わー。びっくりしたーっ」 「びっくりしたー!じゃ、ねぇよ。ちゃんと前見て歩けボケ」 「前見て歩いてるよバカ」 「いやいや…寝惚けんのは、この逞しい腕を貸してあげたボクにお礼を言ってからにしてくれないか」 私が掴んだままの腕を揺らし、得意げに笑う一平。 「どうも」 ちらりと一瞥してから手を離すと、 可愛くないと言われてしまった。 それから黙って、並んで歩く。 さっき何を言い掛けたのか。 気になって、でも聞けなくて。 掴んだ制服の感触が残る右手を、キュッと小さく握った。
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