1927人が本棚に入れています
本棚に追加
「………はあ、……はあ」
あまりにも全速力で自転車を漕いだせいか、もうすぐ五十嵐家に着くという段になって、ペダルを漕ぐスピードは急激に失速していた。
呼吸を整える為、千波は一度自転車を止める。
(………うう。……気持ちに体力がついていけへんのが哀しい……)
自転車を降りた千波は、汗を拭いながらゆっくりと堤防にもたれかかった。
夕方の空気にサアッと海風が混じり、千波の汗ばんだ体を少しずつ冷やしていく。
なにげに海のほうを振り返った千波は、たまたま降りた場所があの海岸のすぐ上だったことに気付き、ハッと息を詰めた。
1年前、陸を初めて見かけたこの海岸──。
この海岸には陸との様々な思い出が詰まっている。
土産物屋をクビになった直後、ここで海に向かって叫んでいるところを陸に見られ、笑われたこと……。
陸の過去の恋を、傷を、知ったこと。
初めて陸にキスされた直後、良平と別れることを陸に告げたのもここだった。
「………………」
無意識に千波は、ふらりと海岸へ向けて足を動かしていた。
覚悟を決めたとはいえ、五十嵐家が近付くにつれやはり怖じ気のようなものが湧いてきて……。
この思い出の場所で、気合いを入れ直そうと考えたのだ。
陸との思い出の詰まったこの場所から、勇気を少し分けてもらいたいような。
ここで全ての迷いを流れ落としていきたいような。
そんな気持ちだった。
最初のコメントを投稿しよう!