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「…………ここは、いい場所ですね」
しばらくして、千波の頭上で不意に陸がそう呟いた。
千波は少し体を離し、陸の顔を見上げる。
陸はどこか遠い目をして、そこから見える景色を眺めていた。
その視線を追うと、その先には自分達の住む街、そして海が一望できた。
「ご両親と弟さんは、ここから千波さんのこと見守ってきたんでしょうね。……一日もあくことなく、ずっと……」
眩しそうに目を細め、独り言のように呟いた陸は、ゆっくりとその視線を千波に戻した。
それに気付いた千波も、顔を上げて陸を見つめる。
自分の胸元を握る千波の手をやんわりと握り、陸は淡く微笑んだ。
「………幸せになりましょうね。この街で」
穏やかだが決意の滲んだ声に、千波は言葉を詰まらせる。
陸への想いが溢れ出し、たまらず千波は陸の体に抱き着いてしまっていた。
「……………っ」
千波の肩が微かに震えていることに気付き、陸は笑って千波の背を撫でた。
「ご両親が見てますよ」
「───いいです、別に。……もう我慢しないって決めたから」
陸の背中に回した腕に更に力を込め、千波は込み上げる涙を堪える為に強く目を閉じた。
押し当てた陸の胸からは、少し強い百合の香りと、仄かな煙草の匂いがした。
確かな陸の温もりを感じながら、千波の眼裏には一年前に初めて陸を見たあの日のことが蘇っていた。
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