八月十五日

2/6
前へ
/19ページ
次へ
終戦の報が、私達の耳に届いたのは、昭和20年8月15日の夕方でございました・・・。 私達『内蒙古軍 歩兵第118師団 師団司令部野戦病院 川村分遣隊』は、内蒙古防衛の『張家口』付近の小さな集落におりました。 その小さな集落で、私達は医療活動を一週間前から行っておりました・・・・。 「八原婦長・・・今夜中に荷物を纏めなさい・・・後方へ移動する。」 私達の上司である川村軍医中尉は、処置中の私にそうおっしゃいました。 私は、つい・・・差し出がましく申し上げました。 「戦争はどうなっているんでしょう? 畏れ多くも『天皇陛下』の玉音放送がおありになったそうですが、まだ戦いが続いております。 私達がここを離れたら、負傷した兵隊さんや開拓団の皆様はどうなるのでしょうか・・・。 私達は、ここへ止まるべきではないでしょうか。」 私は、一緒に医療活動の従事して参りました、3人の従軍看護婦を代表して申しました。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加