第1話

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お人好しは成功いない? 大島紬業界で御三家といわれた紬工場に9年間お世話になった 大島工場から鹿児島工場へ来た時は、社長直々に{この男はわしの兄貴分の 人の子である、よろしく頼む」と製造部の皆の前で紹介された 新工場ビルが完成し引っ越したばかりのピカピカ工場だった。 業界はバブルで作れば売れる時代、働く人も張り切っていた。 賃金は一日八時間労働して750円 残業して月に2万3千~5千円だった タクシードライーが月13万円稼ぐのに比べるとなんと安く使われていたことか後に知った  若さもあり恐れという事を知らない田舎モンだった 作業机も仕事するには不便なところがあり社長に直に話して {営繕係りの緑に言って作らせろ」とのお墨付きを貰い全机に袖をつくらせた。 摺り込みの道具、押しピン、摺り込みヘラは自腹で作り必要とする人に無償であげた  失敗もいろいろとした 元来島人は口の効き方が悪い あるとき 仕事の覚えの悪い人に「このバカが」と口をすべらし大騒ぎとなってしまった {夫にもバカと言われたことはないのに若僧にバカ呼ばわりされた」と洗い場で大声で話しているのを聞いてこれは拙いと思い退社してから妻を伴い謝りにいったこともある その後県会議員の選挙がありました 大きな企業には個人訪問は禁じられていても挨拶にまわる候補者がいた。 出勤してみると机の上に名刺が置いてあり、それは社長の応援している候補者のものだった。 それがばれて警察の事情聴取をうけることになった。全員が一人一人呼ばれ詳細を聞かれたが、今何を聞かれたかは忘れてしまっている。 問題は誰が密告したかということになり、社内で詮索が行われ創価学会の人ということが分かり学会員の排斥が始まった。学会員は会社を辞めてもらうことになって部の係り長が皆を集め勧告することになったのだが係長が気が弱くあんたが言ってくれと頼まれた 止せばいいのに私は言った。{信教の自由が謳われているのに会社を辞 めろというなら止めて他で働いた方が好いでしょう、他に仕事は沢山あります」というた それを社長に言う人がいて呼び出された その時、私も学会に籍がありご本尊様をもっていた 「お前も止めて好いよ、やや子は残っていていいから]と宣告された 工場長からは[君は会社にいても出世はないから、請け加工を独立してやりなさい」と言われた。 つづく
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