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「それから、どうなったのですか?」
マスターから新しいカクテルを受け取ったY氏は男に聞いた。男は首を横に振った。
「覚えていないのですよ」
「覚えていない?」
「ええ。目が覚めたら、幽霊屋敷の玄関前で寝込んでいましてな。いったい、あの後、何が起こったのか。まるで、覚えていないのですよ」
「何ですか?それは・・・」
Y氏は男の話の呆気ない終わり方に苦笑いを浮かべた。
「その時は、スッカリ酔いも覚めましてね。まあ、幽霊を見たのは気のせいだったかもしれませんけど・・・。とにかく、それ以来、私は幽霊の存在を半ば信じるようになったのですよ」
男は席を立ちながら言う。男自身、当時のことは何だったのか分かっていないらしい。
「そうですか」
Y氏は席に座ったままカクテルを飲んだ。
「話を聞いていただいてありがとうございました」
男はほろ酔い気分でY氏にお礼を言った。Y氏は振り返らず、男に対し手を振った。
「くれぐれも、酔った勢いで変なことをしないでくださいよ」
「分かっているさ。今度、会う時は酔っていた時のことも覚えておくよ。それでは・・・」
男はそう言うと、バーの出入り口から表に出てった。
「今、誰と何の話をしていたのですか?」
基本的に客の話に入らないようにしているマスターは頃合いを見計らい、Y氏に聞いた。
「幽霊に出会ったことがあるという男の話です。酔った勢いで、近所の幽霊屋敷に行って、子供の幽霊と遭遇したそうです」
「そうですか。しかし、その話は本当なのでしょうか」
「さあ、分かりません。酔うと気分が大きくなるから、飛躍した話になる場合もあるし、本音だって言う人もいる。しかし、一つだけ言えることはある・・・」
Y氏が言いかけた時、バーの出入り口の扉が開いた。チリリンと扉に仕掛けられているベルが鳴った。酒を飲みに新しい客が来たようだ。マスターは客に向かって、
「いらっしゃいませ」
と、いつもの出迎えをした。それに合わせるようにして、Y氏は今、途切れた言葉の続きを口にした。
「あの男自身が幽霊であることに間違いはない」
Y氏の隣の席には、空っぽになったグラスと酒で汚れた座席があるだけだった。
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