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そして江戸を出立するに当たり、故郷の日野を通過する事もあり近藤は沖田を甲陽鎮撫隊に加える。
それは沖田に故郷を見せてやろうと言う、親心から来るものだった。
日野に入った甲陽鎮撫隊は人々の歓迎を受け、出陣前の一時を過ごす。
その後、沖田は日野で甲陽鎮撫隊を離脱し今に至った為、甲府での戦いについては何も知らなかった。
甲陽鎮撫隊の甲府での戦いは惨憺たるものだった。
甲府に着いた時には既に甲府城には新政府軍が入城していた。
元より戦を目的として居たと言うよりも、交渉に重きを置いていた事もあり、近藤と土方は交渉を少しでも有利に運ぶために策を巡らす。
まずは甲府の町奉行所へ、甲陽鎮撫隊は敵では無いと書状を送り、新政府軍へ戦意の無い事を伝えさせる。
その間に土方が兵を増強する為、江戸に引き返し策を講じると言うものだった。
しかし、新政府軍は書状を受け取ると、それを時間稼ぎとみなし急遽進軍を開始した。
そして甲州勝沼に置いて甲陽鎮撫隊と激突したのだった。
だが兵力の違い甚だしく、一刻ほどの戦闘で甲陽鎮撫隊は敗戦し、下総流山へと転陣する事となった。
しかし、新政府軍の追撃の手は緩まず流山の本陣は気付いた時には包囲されていた。
そこで江戸から引き上げ合流していた土方の、必死の交渉が新政府軍との間で行われる。
だが新政府軍からは、「鎮撫は我らの任である。すぐさま武器を差出し敵対の意が無い事を示せ」と詰め寄られた。
土方はこれを受け入れるとして本陣に戻った。しかし本陣に戻った土方を待って居たのは、腹を切る覚悟を決めた近藤だった。
しかし今近藤が腹を切ったとしても自体は好転はしない。
まして無駄死にとなり兼ねない。土方は近藤を説得する。
土方の話に納得した近藤は新政府軍へ大久保大和として出頭したが、大久保大和が近藤勇であると知る者が居た。
武器を差し出し釈放されると考えて居た近藤や土方の思惑は見事に崩れ去った。
近藤はそのまま新政府軍の本陣のある板橋まで連行される事となったのだ。
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