第1話

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豊太閤 しかし近世以降、「太閤」といえば関白を甥の豊臣 秀次に譲った後の豊臣秀吉のことを指すことが専ら で、このことから「大師は弘法に奪われ、太閤は秀 吉に奪わる」という格言までできるほどだった。 秀吉のことを、史家はその姓から豊太閤(ほうたい こう)と呼ぶことが多い。その秀吉が行った全国規 模の検地は古くから太閤検地と呼ばれている。また 秀吉が大坂城を築いて天下に号令した大坂の地は、 やがて江戸時代になると「天下の台所」と呼ばれる までの経済発展を遂げたが、地元大阪では今日でも その最大の貢献者である秀吉を敬愛して「太閤は ん」と呼び親しんでいる。 今太閤 明治維新で旧来の太政官制が廃止され摂政・関白が なくなると、太閤の語もやがて過去のものとなるは ずだったが、百姓の身分から初代内閣総理大臣に上 り詰め、その後も元老として明治日本を牽引し、艶 福家の点でも共通する伊藤博文が、豊太閤に倣っ て今太閤(いまたいこう)と呼ばれるようになっ た。さらに戦後には高等教育の学歴を持たずに内閣 総理大臣まで上り詰めた田中角栄も今太閤と呼ばれ るようになった。 このように「今太閤」は貧しい生まれから立身出世 して大きな権力を握るに至った者の代名詞として使 われるようになり、この他にも保守政治家の三木武 吉、阪急電鉄の小林一三、松下電器の松下幸之 助、大映の永田雅一らも今太閤と、また吉本興 業の吉本せいは女今太閤と呼ばれた。
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