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天正12年(1584年)、信長没後に勢力を伸張した豊 臣秀吉との対立が深まり、小牧・長久手の戦いで対 峙した [1] 。この戦いで家康は軍略的には勝利したも のの、政略的には後れをとり、しかし屈服せずに講 和 [1] 。豊臣秀吉が実母を人質にさし出した後に、上 洛して豊臣氏に臣下の礼をとった [1] 。天正18年 (1590年)、小田原征伐において関東を支配してい た後北条氏が敗北し退けられた後、秀吉から関東へ の領地替えを命じられ(関東移封)、長年の根拠地 を失ったものの、豊臣政権の下で最大の領地を得る こととなり、五大老の筆頭となった [1] 。
秀吉没後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにお いて対抗勢力に勝利し、その覇権を決定づけた [1] 。 慶長8年(1603年)には、後陽成天皇から征夷大将 軍に任命され、武蔵国江戸(現・東京都千代田区) の江戸城に幕府(江戸幕府、徳川幕府)を開き、そ の支配の正当性を確立させた [1] 。慶長10年(1605 年)に三男・徳川秀忠へ征夷大将軍職を譲り、駿河 国駿府(現・静岡県静岡市葵区)の駿府城に隠居し た後も、「大御所」として政治・軍事に大きな影響 力を保持した。慶長19年(1614年)から慶長20年 (1615年)にかけて行った大坂の陣においては、豊 臣氏を滅ぼし、幕府の統治体制を盤石なものとした (元和偃武) [1] 。
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