松田嘉那太

2/2
前へ
/118ページ
次へ
無限の時とは、長大なひとつの時間の塊ではない。瞬きよりも短い一瞬の時、刹那の集合体なのだ。 松田嘉那太。 戦国の世に生まれた新陰流の亜派、神影朧流を現代に継ぐ剣士であり、弱冠二十歳にして日本古武術連盟の終身名誉師範の称号を得た現代に生きる剣豪だ。 その腕前は戦国の剣聖、上泉伊勢守の再来と言われ、関係者からは剣道界期待の星と言われた。 松田家は、祖を辿れば上泉伊勢守に師事し、松田派新影流を興した松田織部之介清栄にまで遡るが、嘉那太の家は分家の分家の分家、清栄の剣とは直接的には関係がなかった。 剣道を習おうと近所の道場に通ったら、そこの師範が神影朧流の継承者だったというものだ。 また、この神影朧流なる流派も正統な文献には記載がなく、流派に伝わる古文書によれば上泉伊勢守の門下、疋田文五郎と並び称される神後宗治に師事し、新陰流を会得した長野義久なる人物が開眼し興したとされる。 高校では一年生で剣道インターハイの個人戦に優勝し注目を浴びたが、その後に暴力事件が発覚、出場停止処分を受けて、そのまま高校剣道界から姿を消した。 高校卒業後、早々に実家を継いで宮司となった嘉那太は、神主として日々を過ごしながら剣の修行を続けていた。 そんな彼が震災を免れたのは、もたらされた幸運によるものだった。 震災の一ヶ月前、嘉那太が宮司を務める栗生神社に一人の老婆が参拝していた。老婆は毎日のようにここに参拝しに来る近所の住人で嘉那太も昔から顔見知りの人物だった。 「おはようございます。今日はいい天気ですね」 「そうだねぇ、カナ君は今日もチャンバラの稽古かい?」 いつものように老婆に話しかけて、しばらくとりとめもない会話を交わした。その日がいつもと違ったのは、最後に老婆が一枚の紙を手渡してきたこと。 それは沖縄旅行のツアー航空券だった。 「商店街の福引で一等が当たったんだけどね、アタシは歳だから飛行機なんて乗りたくないし」 老婆には息子がいたが、既に独立して家を出ており、滅多に連絡もしてこないと言う。 そんな息子に譲るくらいなら毎日のように声をかけてくれる嘉那太に譲りたい、とのことだった。 嘉那太はありがたく譲り受け、沖縄へ出発した。 嘉那太がその時を迎えたのは、沖縄行きの機内だった。
/118ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加