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「春山とか耀ちゃんにとっては、萌のそういうとこが堪らないのかな。
ねえ、耀ちゃん?」
顔をちらりと白井さんに向け、意地悪そうな目線を送ってから、更科くんは上の収納棚に手を伸ばし、ガラスポットを取りだした。
フィルターをセットしたドリッパーを上に乗せ、ポットの方に歩み寄る。
その淀みない動きを見れば、彼が以前から、頻繁にこの部屋を出入しているのだということが分かる。
黙ってお湯を注ぐ背中を見ながら、わたしは思い切って投げかけた。
「…全部、…美雪さんのために仕組んだことだって言うの?」
その名前に反応したのか、更科くんの背中に一瞬動揺が見えたような気がした。
わたしはさらに言葉を重ねた。
「…美雪さんのために、…二人で手を組んで、月子ちゃんを罰しようとしてたとでも…」
「…そうだよ」
「そんなこと、…美雪さんが望んでるって、本気で思ってるの?」
更科くんは黙ってお湯を注ぎ続けた。ガラスポットの中に、ぽたぽたとコハク色の液体が落ちて行く様子が見える。
長い沈黙の後、更科くんがわたしの方に顔を向けた。
「…萌は、大切な人間を自分のせいで失ったこと、ある?」
その表情を見て、…わたしは何も言えなくなった。
『怒り』というマスクを取り去ってしまうと、そこには、――何もなかった。
あるのは、すでに悲しみを保つだけの力を失い、諦めることしか出来なくなった人間の顔。
そこに浮かぶ空虚な表情は、…美雪さんを想う白井さんのものと、等しかった。
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