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「…誰にも、内緒にしてください…」
「もっちろん、言わないわよ。
そっかあ、やっぱりねえ。すぐにピンと来たわよ」
「…どうしてですか…?」
「だって春山くん、ただの生徒に自分のことを簡単に話すような子じゃないような気がしたから」
芝田さんは少し得意げな、……それでいて少ししみじみとした、寂しそうな表情を浮かべた。
……春山先生のこと、「子」って言うひと、初めてだ。
高校時代の春山先生しか知らないこの人にとって、先生はいつまでたっても「子」なのかもしれない。
「入院してたクラスメイトが、どうなったか、って話だったわよね」
芝田さんは申し訳なさそうな顔をした。
「わたしは、春山くんが退院してすぐ、小児病棟に移動になってしまったから、彼女がどうなったのか、詳しい経緯は知らないの。
ごめんね。お役に立てなくて」
「そうですか」
わたしは笑顔を作った。
「わたしこそ、変な事を訊いてしまって、すみませんでした」
それじゃまた、と頭を下げ、歩き出す。
足を進めながら、わたしは激しくなる鼓動を抑えきれずにいた。
手にした鞄を胸の前に抱き、その手にぎゅっと力を込める。
自然と歩調が早くなり、わたしはほとんど小走りで廊下を進んでいた。
考えもしなかった。
そんなこと、…疑いもしなかった。
今聞いたばかりの、芝田さんの言葉をもう一度反芻する。
確かに言った。
今、芝田さんは――。
そのクラスメイトのことを、『彼女』と言った。
『もう随分、昔のことだよ。今じゃ、その時のそいつの顔をはっきりと思い出すことも、難しい。
絶対に忘れることなんか出来ないって、思ったけど……』
打ち消そうとしても浮かんでくる、先生の苦しげな表情が、わたしの胸を押しつぶそうとする。
わたしは、泣きたい気持ちになっていた。
先生に、あんな顔をさせていたのは、――春山先生と一緒に事故に遭ったその女生徒は……。
一体、どんなひとだったんだろう。
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