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あれは忘れもしない入学式の日。
満開の桜並木に囲まれた正門に彼が立っていた。
太陽の光を浴びて、綺麗なキューティクルの輪が輝く漆黒の髪。
凛々しい眉の下にある双眸は、気品溢れる猫のよう。
真っすぐ伸びた鼻梁は高く、薄めの唇は艶やかな珊瑚色。
黒い詰襟の学生服を、誰よりも完璧に姿勢正しく着こなして、春風に舞う桜が霞んでみえるほどの存在感。
他にも沢山の生徒がいるのに、彼だけが春に祝福されたような華やかな光を放っていた。
何故か高鳴る鼓動を感じて、わたしは狼狽える心を抑えつつ、早足に正門を通り抜けようとした。
すれ違いざまにちらりと視線を向けると、彼の目が驚いたように見開いた。
「ねぇ、アンタ桜の花びら食べる気なの?」
彼はくすりと笑って、左手の親指と人差し指で私の唇にそっと触れた。
触れた二本の指には桜の花びらが挟まっている。
そのときわたしは、自分の唇に桜の花びらがついていたことに気がついた。
「あ、あの……す、みませんでした」
恥ずかしさのあまりどもりつつも、何とか声を出すことができた。
すると、彼は薄い唇を綻ろばせた。
「ボーっとしてると転ぶよ、新入生」
少し鼻にかかった甘い声と、爽やかな笑顔にぞくりとした。
身体に一瞬、電流が走ったのを感じた。
何これ?
こんな気持ち、初めて。
胸の奥底からじわっと熱い何かが湧き出てくる。
わたしの内部で炭酸がシュワシュワ弾け、出口を求めて彷徨っている感覚。
心臓がすごい勢いでドキドキして、呼吸が……息が苦しい。
――――こんな些細なきっかけだった。
わたし、小松明日美(こまつあすみ)が、生まれて初めて恋に落ちたのは。
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