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温かな春の風が吹きわたる。
天気予報によれば、今日の最高気温は平年並みの20度近くになるらしい。
とはいえ、今年の桜は三月末に花冷えが続いたせいもあり、ようやく八分咲きといったところだ。
「綺麗……。」
桜の花を仰ぎ見て、進藤 亜希は思わず感嘆の声を漏らしていた。
古代の人が見ているそれとは品種が違うものの、桜を見て雲のようだと評する気持ちは分かる気がする。
何より薄桃色の桜の色と青い空の対比が美しい。
亜希はそよそよと吹く春風の気持ち良さに目を細めて、温かな空気を肌で味わっていた。
柔らかなセミロングの髪は、風を孕んで膨らみ、ふわりと靡く。
――四方に伸ばされた枝。
――立派な幹。
正門横の立派な桜の横には、煉瓦風のタイルの門柱があり、ブロンズ製の看板が掲げられている。
――学校法人 倉沢学園。
ここを卒業したのは五年前だというのに、こうして変わらずに出迎えてくれる桜を眺めると、まるで昨日の出来事のように感じる。
(……帰ってきたんだ。)
亜希は感慨深そうに校舎を眺めると、構内へと歩み始めた。
まるでタイムカプセルを開けたかのように、昔の思い出が溢れてくる。
毎日通っていた時と変わらぬ門構え、前栽。
違うのは自分が真新しいリクルートスーツを着ているくらいだ。
(まだ、残ってるかなあ……。)
亜希は目を凝らすと、正門横の植え込みの中に濃い緑の葉が無いか探し、やがて青々とした葉を見付けた。
――沈丁花。
今は時季を過ぎてしまい、匂い立つ花の香りはないものの、亜希は一人の男性教師を思い起こして、にっこりと微笑んだ。
目を瞑ると、沈丁花の残り香を探すみたいにして深呼吸をひとつする。
――甘い痺れるような香り。
それと共に思い出されるのは、五年前の卒業式の「彼」の姿だ。
――色素の薄い茶色い瞳。
――散髪したての髪。
――胸ポケットには蘭の花。
亜希はそのまま思い出の中の「彼」に、そっと呼び掛ける。
――「ただいま」と。
すると、その思いに呼応するかのように、春風が優しく頬を撫でていく。
亜希はまるで「お帰り」と言われたような気持ちになって、嬉しくなった。
(早く、会いたいな。)
急く気持ちを落ち着けようと、深呼吸をもうひとつする。
それから、そっと来賓玄関上の窓を見上げた。
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