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コードスクリーンを半分手で払い、体を厨房へ滑り込ませたいっちゃんが、俺を呼んだ。
根が生えたようにその場を動けなかった俺は、厨房からの呼び声に、やっと足を床から引き抜いた。
通用口の前に立ついっちゃんは、呆れた表情を隠しもせずに、小さな声で言う。
「俺ならさっさと次探すけどね、あんな意固地なの相手にしなくても良くね?」
俺はムッとして返した。
「悪く言わないでくれる?」
色男は楽しそうに目を細める。
「お前のテンションが変わってなくてよかったよ。
俺が出たら鍵かけて。
強盗に入られても困るし。じゃあな」
彼は通用口からなんの躊躇もなく外へ出て行き、俺はバタンと音を立てて閉まったドアの前で数秒間躊躇ってから鍵をかけた。
フロアに戻ると、むつみは顔をあげて俺を見た。
「痩せたね」
「……むつみも」
自嘲にも似た笑みを浮かべてまたむつみは視線を落とす。
俺は棚からウォッカの瓶を取り、カウンターに置いた。
タンブラーの飲み口をレモンでなぞる。
岩塩の粒が入っている容器に飲み口を押し付けたあと、氷を入れてウォッカを注ぐ。
グレープフルーツジュースでグラスを満たし、ステアしてむつみの前に置いた。
いつの間にか伏せた目を上げ、俺の動きを追っていたむつみがクスリと笑う。
「すっかり板についちゃってるね」
「まだまだだよ」
俺は自分用にモスコミュールを作ると、さっきまでいっちゃんが座っていたスツールに腰かけた。
一瞬むつみが身を固くしたのに、軽く傷つく。
「久しぶり」
グラスを掲げると、むつみはソルティドッグのグラスを持ち上げた。
塩に当てないように、自分のグラスを彼女のグラスの縁から少し下にコツンと当てて、俺は小さな泡を琥珀の中に漂わせる液体を飲んだ。
辛口のジンジャーエールとウォッカが喉をひりつかせる。
「元気だった?」
ぽつりと問う俺に、むつみはふっと息を吐いて答えた。
「見ての通りよ」
近くで見ると、化粧の下のむつみの肌は、やや荒れているように見えた。
また振り子時計の音が大きく聞こえる。
カウンターに置かれたソルティドッグの氷が、カランと音を立てた。
「……何から話そうか」
言いながら再びグラスに口をつける。
カメラの前より緊張していた。
落ち着かなくて、勢いよくグラスを傾けて液体を飲み干すと、俺は再びカウンターの内側に戻った。
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