876人が本棚に入れています
本棚に追加
「あの、本当に今更ですが。 貴方の名前を聞かせていただいてもいいですか?」
私が言うと、その人が僅かに顔をしかめたのがわかった。
怪しまれただろうか。
伺うように男を見るが、その表情から読み取れるものは少ない。
そもそもこの人は、自分の名を名乗る気はなかったのだろうか。
「助けていただいたのに名前を聞かないのは失礼かと思って。 ……それに、私は名乗りましたし」
「斎藤一だ」
男は私の言葉に被せてそう答えた。
気に障ったのかと思えば、案外普通に答える男に少なからず安心する。
やはり表情に出るものはないが。
「斉藤さんですね。 本当に、助けて頂いてありがとうございました」
「ああ」
彼にもう一度礼を言ってから、手にしていた湯飲みを置いて立ち上がる。
「このまま失礼しても?」
「ああ、構わない」
特に怪しまれるようなことはなかったようだ。
斉藤さんの言葉を確認して立ち上がると、そのまま私が寝ていた布団を片付ける。
斉藤さんが退室していた間に、乾いていた着物の着替えも済ませた。
着ていた着物を洗濯もせずに返す事に少しばかり抵抗を感じるが。
「それでは私はこれで。 みなさんにもよろしくお伝えください」
黙って頷く斉藤さんに、一つ笑みを見せてから部屋を出た。
それからぴたりと立ち止まり、まだ部屋にいるであろう斉藤さんを返り見る。
不思議そうな顔でこちらを見る彼に、私は苦笑いを返した。
「えーと、玄関ってどちらでしたっけ?」
「ああ、悪い」
……恥ずかしい。
よく考えれば、気絶していた間に運ばれたのだから、私がこの屯所内を知るはずがなかった。
最初のコメントを投稿しよう!