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それからは、どこをどうやって歩いていたのか記憶にない。
何も考えずに歩いて、歩いて、歩いてーー。
「誰だ?」
不意に聞こえたのは、低く落ち着いた声。
私は揺れる視線をその声の主に焦点を合わせる。
そこには、傘を差してこちらを見下ろす一人の男がいた。
ハッと我に返った私は慌てて言葉を探す。
「……申し訳ありません。 私は旅をしてきたのですが、ここがどこだかよくわからなくて。 よろしければ、教えていただけませんか?」
自然な笑みを意識しつつ警戒させないように、まだ少し距離のあった男の元へと歩いた。
男は怪訝な顔をしてこちらを見る。
まあそうだろう。 こんな暗い、それも雨の降る夜に、傘もささずに一人で出歩く人がどこにいるだろうか。
「…………っ!」
何もないところで躓く。
あ、と思ったときにはすでに、視界いっぱいが雨に濡れた地面だった。
倒れる……?
「おい!」
男が焦りの混じる声で呼ぶ。
頭では危ないとわかっていても、身体がそう簡単に働くはずはなく。
私は反射的に目を閉じて痛みが来るのを待つだけだった。
しかし、いつまでたってもその痛みが訪れることはない。
「おい、大丈夫か!?」
どうやら自分でも気がつかないうちに、大分体力を消耗していたらしい。
薄らと目を開けると、黒い布地が視界を覆っていた。
僅かに感じる温もりに、先ほどの男に抱きとめられたのだと気がつく。
私は次第に遠のく意識に逆らうことができず、そのまま黒い闇に落ちた。
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