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「いや、俺が行く。 熱があったんだ。 もう少し寝ていろ。 あまり体を動かすとまた熱が上がる」
相変わらず、表情を変えないままに言い切った。
考えてみれば、知らない女に家内を歩き回られるのも迷惑な話か。
納得してぼんやり視線を下ろすと、男の気配が遠のく。
その時、私は漸くあることに気がついた。
「着物……」
自分の目に疑いを掛けてもう一度見直すが、身につけている着物は私の物ではない。
ゆっくりと、疑問を投げかけるように男へ視線を送る。
男は少しだけ狼狽えた。
「ああ、随分と濡れていただろう。 悪いが風邪を引かれると困るので脱がせた。 とりあえず俺の着物を着せた。 だが、結局熱は上がったな」
「……はあ」
これは、仕方がなかったという事で良いのだろうか。
私の意識が無いうちの出来事だ。
今更とやかく言っても仕方の無い事か。
私はなるべく頭を巡っていた考えを払いのけて、一度そらした目を合わせた。
「何から何まで、ありがとうございます」
「……ああ」
少しだけ気まずそうにしながらも、男は静かに襖を開く。
再びこちらに視線を向ける事なく丁寧に閉じられた襖を見て、私は詰まった息を小さく吐き出した。
のそのそと布団に潜り込むと、まだ少し自分の体温が残っていて、心地よい暖かさに秒速で眠気が襲った。
雨に濡れた上に数日間寝ていなかったのも手伝って、随分と疲れていたようだ。
男の言葉に甘え、眠気に逆らう事なくおとなしく眠りについた。
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