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王昭君亡き後、時代が下ってからだが、漢族が鮮卑族に支配される時代が訪れる。その時、自分達の不遇を、この時の王昭君に思いを馳せて、王昭君を悲劇の女性とする。
つまり。
匈奴では、実の母で無ければ、亡き父の愛妾を妻にすることが出来る習わしだが、漢では、たとえ我が子では無くても、夫の息子は子どもであるという考え方。母が子と婚姻するという事は、近親婚という事になり、禁忌であった。
名前を匈奴風に変えようと、匈奴の生活に慣れようと、王昭君は、漢の女性。培って来た価値観は簡単に変えられるわけが無い。
王昭君は困った事態に直面したのだ。
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