男心と秋の空

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―濡れ鼠… 歩きながら、沙耶はファミレスで働いていた時のことを思い出していた。 店の裏口にはいくつかペールが置いてあって、その中にゴミをまとめた袋を入れておくのだが。 いつだったか、底を鼠がかじって穴を開け、中に入り込んでいたことがあった。 雨の日、だった。 蓋を開けた瞬間飛び出してきた黒い影に一度は驚いたものの、地面に下りたった鼠は放心状態で、ずぶ濡れになっていた。 沙耶は思わずそれを今の自分と重ねた。 決してかわいいとは言い難い、溝鼠(どぶねずみ)。 人間という存在に住む場所と食料を奪われ、生きていく為に命を掛ける。 ―自分は、あの時の濡れ鼠だ。 でも絶対に諦めない。 どんなに蹴落とされようとも、気高く、地を這ってやるんだから。 「秋元さん!?」 歯をぐっと食いしばった所で、前方から沙耶を呼ぶ声がした。 雨の雫が睫毛からも滴って、視界をぼやけさせるから、一瞬誰かわからなかった。 「坂月…」 瞬きして、それを掃(はら)って見ると、会社のゲートから、坂月がこちらに走り寄ってくる所だった。 「ずぶ濡れじゃないですか!?携帯何度も鳴らしたのに、どうして出なかったんですか!?」 外で待っていてくれたらしく、傘を差した彼の表情は心配を通り越して青ざめている。
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