記憶が引き連れてくる香り

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「っはぁっ…はぁっ…遠っ…無駄…」 自転車で石垣邸は無謀だったかと、途中で思い始めてきた沙耶。 それもその筈、敷地面積が広すぎるのだ。 アパートからだって、近くない。 やっとのこと着いたとしても、ゲート1、守衛1をクリアした時点で、ばててしまいそうだ。 確か、もっと先に、大きな門がある筈だ。 まだ屋敷の庭にすら到達していないという事実に、頬がこけてしまいそうになる。 新しいマンションに引っ越せば、今よりずっと近くになるが。 ―これじゃ、引っ越して近くなっても変わらないな。 沙耶はそんなことを思いながら、軽い息切れに二十歳越えの体力を呪う。 ―最近筋トレしてないもんなぁ。 忙しさに託(かこつ)けて怠っていた。 自転車の後輪が、掃いても落ちてくる枯れ葉を巻き込んでカラカラと鳴った。 「秋元様ですね。はい、身分証の提示と社員証の提示をお願いします。」 ゲート2、守衛2まで辿り着くと、さっきと同じことを言われて、沙耶も首からぶら提げていたパスケースを再び差し出す。 「はい、確かに。お返しします……、あの…自転車…疲れませんか?」 気遣いの言葉も、笑いを堪えているような表情も、さっきと同じ。 恐らくこの邸宅に、チャリで乗り込む人間は沙耶が初めてなのではないか。 「全っっ然!」 完全な強がりでにかっと笑うが、走り出すと同時に、我慢していた酸素を思い切り吐き出す。 息が上がっているのが悔しい。 それがあの守衛にバレるのはもっと嫌だった。
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