記憶が引き連れてくる香り

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「あら、もうお帰りですか?」 玄関に向かって歩く石垣達に気付いた使用人が慌てたように廊下に出てきた。 「見送りは結構です。」 石垣はそれを片手で制すと、使用人を足早に追い越した。 ―石垣の様子がおかしい。 それは、この家に着いた時から。 いや、もっと前。 寝起きの悪い彼が、起こす前から起きていた時からか。 ―親戚の家だから猫被ってるのとばっかり思ってたけど、それにしたって余裕がないような… 石垣の背中を追いかけながら、沙耶は軽い胸騒ぎのようなものを覚えていた。 「お帰りですか?」 外に出れば、着物姿の男が、先程と同じことを訊ねるが、石垣は頷くだけで、車の停めた方角に一心に向かって行く。 「あっ、見送りはいらないです!お邪魔しました!」 小走りになりながら、沙耶は付いて来ようとする男に振り返って叫んだ。 男はその場に立ち止まって、何か返したようだが、突然の風のせいでよく聞き取れず、かろうじてお気をつけて、の言葉だけ拾った。 フェラーリの前まで来ると漸く石垣が立ち止まり、沙耶は息切れしながら恨めしげにその背中を見上げた。歩幅の広い彼の早歩き―ここまでくると競歩と言っても過言ではない―に付いて行くのに必死だった。
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