記憶が引き連れてくる香り

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「…ていうかフェラーリどうしよう。」 さすがに沙耶も、石垣を追い掛けることなく、秘書室に戻って来客用のソファに腰掛けた。 石垣に訊ねたいことは沢山、ある。 ただ、その全てが、訊いていいことなのかどうか、迷う。 果たして石垣は教えてくれるだろうか。 秘書として知っておいたほうが良いことなのだろうか。 「うーん…」 悩みだした途端、きゅるる…とお腹が鳴った。 「そろそろお昼、かぁ。」 基本沙耶は朝ごはんをほとんど食べない。 時間がない、というのが主な理由だが、育ち盛りの弟に、限られた食材で多く食べさせるとなると我慢しなければならないこともある。 だから、実は昨日石垣が蹴り飛ばしたパンたちは沙耶にとって救世主だった。 「引越し終わったかなぁ…」 誰も居ないがらんとしたフロアで沙耶はぶつぶつと呟く。 ―石垣は午後も仕事があると言っていたが、自分はここにいた方がいいのか、帰ってもいいのか。 手持ち無沙汰になった沙耶は、手帖を取り出してペラペラと捲る。 今日の予定は、沙耶が書き足した叔父の突然のアポ以外は書いていない。 珍しく、何もないようだった。 それが、逆におかしくも思えた。 ―いつもほぼいっぱいなのにな… 日曜日でさえ、会食とか取材とかやたら書きこまれているというのに、だ。
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