記憶が引き連れてくる香り

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「だって、手だってあんな洗ってるし、お風呂だって入ったんでしょ?服だって新しいのに着替えてるし…」 叔父の家から出た途端、石垣はどこにも触れなくなった。 「………」 だが、沙耶の指摘は確実に耳に届いているはずなのに、石垣は返事をしない。 ―何よ何よ。無視かよっ。 沙耶が気難しいボスに再び苛立っている内に、エレベーターは一階へと到着した。 「―汚れてんのはあそこの空気だ。」 「―え?」 降りる瞬間、石垣が微かにそう呟き、沙耶を追い越した。 ―空気?どういうこと? 石垣をまたしても追い掛ける格好になり、面白くない気持ちでホールを駆けると警備員が数人揃って一礼している。 沙耶はそれに自分も小さく頭を下げた。 「何か食いたいもん、ある?」 さっさと先に行ってしまった石垣は、迷うことなく停めてあったフェラーリの運転席に乗り込み、追いついた沙耶に訊ねた。 それは沙耶が口を開く―つまり何かを訊ねる―前に敢えて被せた防衛線のようだった。
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