記憶が引き連れてくる香り

45/61
前へ
/430ページ
次へ
「今日はもう良いから、そのまま新居に帰るか?」 「え、いいの?」 もう仕事がない、こと、家に送ってくれる、こと。 この二つの事実に沙耶は一瞬喜ぶが。 「あ、ダメだ…あんたん家にチャリ置いたままになってる。」 「置いとけばいいんじゃねぇの?」 「だ、ダメ!あれがないと通えないっ」 「うちから送迎を出せば良い話だろ。」 「ダメダメ、ガソリンが勿体無い。」 真顔でそう言えば。 「……もういいわ、わかった。家に行く。」 石垣が呆れたように目をぐるりと回した。 秋の金色の陽射しが、街路樹も、道路でさえも、暖かく照らす。 そのなんでもない風景を眺めながら、沙耶はやっぱり今日の石垣は変だ、と思っていた。 音楽がかかっている訳でもなく、かといって会話もなく、車内は静かだった。 沙耶は沙耶で、本家の近くに行った事で、気分がやや塞いでいたせいもあって、フェラーリの加速に文句を言うこともなかった。 窓の外を見つめ、ぼんやりと、引越し先へと思いを馳せていた。 このまま、石垣の家に着けば、それで今日のお役は御免だ、と心の隅で思っていた。 だが。 もう少しで、石垣邸の敷地内に入るか、という頃。 「…叔父は、母親の兄に当たるんだ。」 石垣が急に口を開いた。
/430ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2917人が本棚に入れています
本棚に追加