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日記も毎日となるとネタが尽きてくる。
高校球児をこきおろすのも、エロ替え歌も、嫌韓シリーズも出尽くした。
日記の長い読者は飽きてくるだろう。
で、明日から16回シリーズで、若かりし頃の見合いの思い出話を書く。
昭和57年12月から、昭和58年3月にかけて、私は16人見合いし、5人は、私の側が断り、7人は、相手が断り、4人は、両方が断っている。
当時私は、大学院修士課程2年次在学中。職歴は全くない。
そんなヤツに縁談があるのかというと、どっこい、ある。
なぜなら、昭和57年11月に、司法試験の合格通知を受けており、昭和58年4月には、司法習修生としてデビューが決まっていたからである。
当時の司法習修生には給料が出た。
で、二年経てば、判事・検事または弁護士としてあとは、セレブ生活と世間は勝手に誤解していた。
青田刈りという言葉は、企業が学生の卒業を待たずに採用の内定を出す事に使われるが、見合い結婚の世界にも青田刈りはある。
甚だしきは、医者の世界で、貧しい苦学生が医学部に合格すると、一回生の頃から、青田刈りに会う。
貧しい苦学生を持参金で釣って、いき遅れた自分ちのアバズレ片付けてしまおうと、開業医の親は鵜の目鷹の目である。
そのアバズレが、ひとり娘で、医学部合格とは縁がないなら、娘に銭つけてでも、医者の嫁にしないと、お家の存亡に関わる。
法曹の世界も、医者の世界ほどではないが、似た現象が生じる。
政治家は、司法を味方につけたい。ヤバい世渡りしてる業界人は、親戚に弁護士がいたら、法律相談がタダになる。
それやこれやで、縁談は、本人が望まないのに、勝手に空から降ってくる。
当時24歳の私に、3000万円の持参金つけて、閉経寸前の女医を片付けようとした、開業医の物語や、政治家の娘で18歳、見合いは来月希望なんて釣書を見て、なんで来月なの?と訝っていたら、ご本人が来月が、少年院退院予定だったり、結婚に名を借りた、人身売買市場の物語、明日からスタート。
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