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24歳の私が素子(もとこ)さんの釣書を見せられた時、彼女は34歳であった
仲人口は恐ろしい。
歳はいってるが、頭は釣り合う。なにより現役の弁護士だと。
32歳まで在日韓国人だった娘さんで、一橋大学大学院博士課程卒、法学博士である。
釣書持って来た仲人は、一流大学のおふたりは、ぴったりだと言うが、実は釣り合っていない。
私は大阪大学大学院修士課程修了でしかない。修了とは、卒業ではなく、「単位は全部取ったが、論文は提出していない」ことを言う。
相手は法学博士、私は、法学修士でさえない。
一橋大学は名門だが、大阪大学は、「その他」である。
うわぁ、すげえ秀才、結婚はパスだが、会ってみたい好奇心が先に立ち、とりあえず見合いの席には行く事にした。
32歳で日本に帰化した理由は、私が察した通りだった。
当時の司法習修は、外国人を任用しなかった。司法試験に通っても、外国籍のままでは、司法習修を終えられないために弁護士になれないのである。
彼女は、司法試験に通るまで博士課程に残った。32歳にしてやっと通ったのである。大学入学から起算すると、実に14年の長丁場である。
在日韓国人で、オツムに多少なりとも恵まれた者たちは、医師・薬剤師・公認会計士・税理士、それひとつにしがみついて食える国家資格を目指す。
在日韓国人には、多少偏差値高めの大学に入って、成績表に「優」を集めれば、大企業が採用してくれ、あとは定年まで安泰という、半端秀才の道は、当時でもなかったのである。
素子さんはブスだった。
が、当時の常識では、見合いまでして、男の側からブスを理由に断るのは非礼とされていた。
写真見せてるんだから、ブスだけが理由なら、写真見せられた時点で断れよという理屈である。
だが私は、14年の長丁場を戦って、我が道を切り開いた、女性にいくらか惹かれ、受諾の気持ち半分、断り半分で迷っていたが、最後近くなって、断らざるを得ない事件が起こった。
彼女のおかんが
「この子が漬けたキムチです」と、タッパーをテーブルに置いた。
母親の気持ちはわかる。この子は頭でっかちなだけじゃないですよ、ちゃんと家庭的なところもあるんですよと、日韓ハーフの私にアピールしたかったのだろう。
だが母親は、
味わってやってくださいと、フランス料理のレストランで出された飯の上に置いた。
このおかんとは、付き合いきれんな、と思った。
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