竜葬

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 陽が地平線の向こうへと沈もうという頃。暗緑の葉が生い茂る樹冠を抜け、斜陽の朱い光が森の下草を照らし出していた。  下草を踏み拉き、木々の間を風のように疾く駆ける人影があった。其の者の呼吸は荒く、顔に斜光が差す度に珠のような汗が光る。表情に余裕は見られず、恐怖に駆られるままに何かから逃げ出しているようだった。  天性の体格、自らが鍛え上げた肉体。脱兎の如き速さで走る男は、村では勇敢な美丈夫として尊敬を集めていた。それが形無しになり、一も二もなく喘ぎながら這う這うの体で黄昏の森を駆ける。  一心不乱に背後を振り返りもせず走る男の耳朶に友人の、しかしながら一度も聞いたことがない悲鳴が触れた。其の悲鳴は甲高く響くと、何者かに断ち切られたかのようにすぐに止んだ。 「――なんなんだ。なんなんだよ、なんだってんだよッ!」  男は猟師である。今朝方、朝霧が森を包んでいる時から村の朋友達と連れ立って、相棒のハウンドと共に獲物を狩っていた。地神の機嫌がよかったのか、彼らは早々に森の恵みを分け与えられ、太陽が天頂に近づく頃には予定以上の収穫があった。 「どうせなら、普段は行かない奥の方まで行ってみないか。これだけの成果があるんだ、少しぐらい寄り道したって村の女連中も文句を言わないさ」  ――こう口にしたのは自分だったか。  彼は自らに罵詈讒謗の限りを尽くしたくなったが、生憎ながら呼吸器や循環器は既に彼の平時の能力以上に働いている。喋りに使える息も無く、悪態も浮かばない。彼の美しい顔が歪み、引き攣った口元からは自嘲の吐息が漏れた。  恐怖に駆られるままに遁走した彼は、やっとの思いで村の近くまで走り着く。村の方に見える蒼穹へと伸びる幾筋の煙を目にすると、美丈夫の眦からさらさらと透き通った体液が溢れ出した。 「……帰って、これたんだ」
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