壱ノ章

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20XX年、平成の世。 いつもと変わらずに暖かく迎えてくれるのは、限りなく穏やかで幸せな日々。 平成の世で生きる今の少女は、その何よりも尊い筈のものを当然の如く有しており、平和ボケした甘い思考に身を委ねていた。 彼女はこれからもずっと、そうやって生きていくのだろう。 そう、このままではきっと何も変わらず───。 コン、と金属同士が小さくぶつかり合う物音が玄関から僅かに漏れ出し、大して楽しくもない一人ジェンガで退屈を凌いでいた少女は、耳を小刻みに震わした。 ほぼ毎日その音を聞いていた彼女はそれが何の音かとうに理解している。 鍵が、扉に当たり差し込まれる音だ。 (この音はっ) あの人だ、と確信した時、少女の心に宿る頼りなき小さな灯火が、また煌めきを取り戻し始めた。 弾かれた様にソファーから立ち上がり、飛ぶが如く玄関まで駆け行く少女。 腰まである柔らかい黒髪が宙に舞う。 「お兄ちゃんお帰り!!」 鍵を瞬時に開けて、目の前の待ち焦がれていた人物を歓迎するや否や、不自然な格好で抱き付いた。 先程までの浮かない顔が嘘の様な満面の笑顔を浮かべている少女を見て、「お兄ちゃん」と呼ばれたスーツ姿の青年が、カリカリと頭を掻こうとする。 両手が少女の腕に抑えつけられていて、とても頭を掻ける様な状態では無かったが。 うねりのある柔らかい黒髪に、健康的だがやや白い肌。くりくりと動く円い瞳が少女にそっくりな細身の青年である。
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