2010年4月

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いわゆる「自虐史観」について 歴史という学問は難しい。史実をどう評価するかは、評価する者の、全人格を賭けた戦いになる。歴史家の数だけ歴史観があって良い。 但し!史実に基づいて考証すべきで、史実そのものを捏造したら、それは歴史ではなく、宗教である。宗教なら構わない。新約聖書は、「処女が妊娠した」ところから、歴史を説き起こしている。 で、韓国人虐待がなかったとは言わないが、自虐史観の史実捏造が激しいので、一応史実に基づいて反論しておく。 ①南京大虐殺はなかった。 南京入城時、南京市民はほとんど、奥地に避難しており、「大虐殺」出来る程の人口が、既になかった。また、大虐殺出来る程の武器弾薬もなかった。 小虐殺はあったかも知れない。大虐殺はなかった。 ②朝鮮総督府は、当初韓国語を禁止しなかった。 禁止どころか、朝鮮半島の小学校は、選択科目として、「ハングル」を持っていた。 併合したものの、識字率が余りに低い。「ハングル」の事を、「朝鮮かな」と言って、むしろ推奨したのである。韓国が文盲を克服出来たのは、むしろ、朝鮮総督府が義務教育を施行したおかげである。 但し、最後の数年、戦争が激しくなってから、防諜上の必要から、韓国語を禁じた時期はある。 「日帝35年」が韓国から文字を奪ったというのは、言いがかりである。日帝前は、韓国人のほとんどは、文字を持たなかった。 ③創氏改名は、法的強制ではなかった。 金さん李さんを貫き通した人はいる。ごく少数。 だが、改名に応じないことの故に、反日分子と見なされ、心理的強制があった事は、事実である。 これは、有色人種が人間扱いされなかった時代に、辛うじて日本人だけが、名誉白人だった事情による。シナ人も、朝鮮人も、日本人になった以上、名誉白人扱いされるべきだ。差別を逃れるため、名前を日本風にしたい人は、届け出て下さい。これが、創氏改名の動機である。 「族譜(チョボ)」という、演劇がある。 族譜(日本風に言うなら、家系図)に、改名した名をどうしても書けない、先祖に申し訳ない、という、韓国人の心痛を描いた作品である。 ちょっと待て、金・李は、誇りある韓国人の名で、金田・山田は、卑しいヂョッパリの名である、という、韓国人側の民族差別意識がなければ、この作品は成り立たない。 第一、族譜に、改名前の名を書いたからって、いかなる法律にも抵触しない。
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