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「そう。これから美術室に行くのよ。賢一に絵のモデルをやってくれって頼まれたの」
「えっ。賢一さんって絵を描くの?意外っつ」
「それがとっても上手なのよ。将来は美術大学に進んで絵かきになりたいって本気で思っているみたいよ。ちょっと覗いてみたら」
「うん、興味ある」
美術室は校舎一階の奥にあった。普段、晶子が足を踏み入れたことのない場所だった。
かおるが美術室の引き戸を開けて中に入ると、賢一のほかに男の先生がいた。その二人を取り囲むように部屋には画材やキャンバス立てに布を被った書きかけの絵画などが雑然と置かれ、奥のカーテンの掛かった窓際には大きな木製の作業机が鎮座していた。
「おっ、かおる。来てくれたの。ありがとう」
プロレスラーにもなろうかという体格の賢一がキャンバスの後ろに座っているのはやはり、似合わないと晶子は思った。
「あっ。那須先生、同じクラスの斎藤かおると朝倉晶子です。かおるには絵のモデルになってもらうんです」
晶子とかおるは初対面の小柄な美術教師にペコリとお辞儀をした。
「おおっ、そうか。ふたりともなかなかの美形だね。君の絵が楽しみだよ」
賢一と同様に、大きなキャンバスに向っていた美術教師の那須肇(三十九歳)が無邪気な笑顔で、晶子とかおるを見た。
「じゃあ、かおるはここに座ってよ。俺、デッサンするから」
賢一が用意した椅子に座って、かおるは微笑んだ。男性の石膏胸像が置かれた丸テーブルの傍に佇んでいる晶子は少し場違いな感じがした。
「あの、わたしこれで失礼します」
「あっつ。朝倉さんと言ったね。よかったら、君は僕のモデルになってくれないか」
肇が部屋の出口の方に向っていた晶子を呼び止めた。振り返った晶子は肇の純真な眼がキラキラ輝いているのを好ましく思った。
「えっ。わたしが先生の絵のモデルですか?」
「そう、齋藤さんと同じように僕の前にしばらく座っていてくれればいい」
「はい。わかりました。じゃあ、この椅子を使って少しだけ協力させてもらいます」
晶子は初めての経験で、うれしくなって部屋の片隅に並べてあった折りたたみ椅子をひとつ抱え上げた。
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