白銀の彼方で

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────ザ、と雪を踏む音がした。私をここまで追い詰めた張本人。視界が霞んでよく見えず、焦点を合わせることが出来ない。こんな時に、急に眠くなってきた。ああ、この微睡みの中に早く、はやく消えたい。 「最後に残す言葉はあるか」 死神は冷たくそう言った。 「………………」 無かった。早く殺して欲しかった。道具として使われてきた私に思い残すものなど、無い。強いて言うならば普通の生活が送りたかったが、そんなことを今から私を殺す者に言ったとして、なんの意味があるというのだろうか。だから、有無を言わず、早く楽にして欲しかった。 「────亜豆奈」 は、と息をのんだ。夢か現実かの境界線で私の名を呼ぶその声は────。 独りでに笑った。曇った空なのか、降り積もった雪なのか、判別のつかぬ白銀の彼方で。 (なんで最後の最後で、あいつの声なんか────) 不本意ではあったが、その声を、顔を思い出した途端、生気が蘇った。 ────起き上がらなければならなかった。まだまだ私は、死にたくない。死ぬわけにはいかないのだ。 私は黙って震える手を天へと伸ばした。血に塗れた私の手。それは、実際に今見える以上の血が纏わり付いた、殺人鬼の手。だが、天から舞い降りる穢れ無き雪は、知らん顔で私の掌へと収まっていく。私の返り血で汚れた雪をあらん限りの力で握った。 万力の力を腕へ、脚へ、全身へ。 起きろ、起きろ、起きろ。 こんなところで寝ている場合じゃない。私には起きて、生き抜いて、帰るべき場所があるのだから。私のたった一人の家族の元へ。 「……ほう、まだそんな力が」 どうにかして立ったは良いが、足は震え、今にも前へと倒れそうな体は、緋色の愛刀で支えている有様だ。歩くことなど出来やしない。 「……け」 「命乞いは聞けぬぞ」 「────退け、ッ」 そう死力を尽くして言い放ち、刀を地面から抜いた。その瞬間、体は支えを失い、前へと倒れてゆく。 「……アァッ!!」 倒れそうな体を一歩踏み出し、支える。その勢いのまま、死神へと駆けた。 ────────さようなら、愛しき人よ。
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