白銀の彼方で

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目の前の少女に対して、出てきたのはたったその一言。 丁寧に切り揃えられた黒髪は、雨により湿気ていた。切れ長で冷徹な印象を与える瞳は重い瞼で閉ざされ、少年を見つめ返す気配はない。霞色の着物には、左胸を中心に広がる紅い血。その出血量は、最早助かる余地さえないことを少年に無言で知らしめる。 身体は五体満足で此処にあるのに、何故呼び掛けに応じず、動いてくれないのか。胸を刺され、血を失うだけで、人はこうも簡単に死んでしまう。魂がないだけで、人はこうも簡単にただの肉塊へと堕ちてゆく。 ならば、その〝魂〟とは何か。動く心臓に宿るものか。いや、それともこの失われた血からか。いや、脳か?もしくは、その全てか────。 なれば、その全てを少女に組み込めば、黄泉がえるのか。 ────それは、否だろう。人はその身体という器に魂を宿らせるのであり、体を失えば、必然、魂も喪われ、消える。そう、消えるのだ。消えたものは、戻せない。盆から溢れた水が二度と返らぬように、それを死から奪い返すことなど、不可能だ。それに、そも亡くなったものは、返ってこない。永遠に。絶対に。自然の摂理に抗うことなど、たかが数千年しか生きておらぬ人間に、どうして出来ようか。 抱き寄せ、人間の脆さを、少女に死の運命を与えた神を、憎む。 それ以上に、この結末を招いた自分に。 憎しみは、怒りに。そして怒りは、力へ。 少年は歯を食いしばる。歯の間からは、呻きにも似た嗚咽が漏れ、ただただ虚しく雨音に調和した。 少年は自分の怠惰を呪った。 自分の愚かさを呪った。 自分の無力さを呪った。 ────そして、少年は誓う。 先ずは、自分の大切な人を奪ったそれを確実に殺す、と。 少年はこうして、修羅の道の一歩を踏み出した。
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