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~「みんなと同じ」にすればよい。
後のことなんか気にしない思考~
秋のお彼岸の時の話。
お彼岸の後
遅れてお墓参りをすると…
枯れた花、お菓子のビニールの包み、パッケージ、ペットボトル…
風に飛ばされあちこちに散乱!
はて?
お参りした後の事って、だれも考えてないの?
枯れた花は、誰も片してくれる人なんているわけはありません。
暑さの中、四五日すれば 無残にも茶色に萎れて、花立てにうなだれかかり、水は腐る。お供えしたビニルパック入りのおはぎは、カラスのえさとなり、パックは風に飛ばされて、カサカサ音を立てて、墓地の中をあちこち飛ぶ。一つずつ包まれた駄菓子も同様。カラスが上手に中身だけ食べて、あとは、墓地のそちこちに散らばり放題。何とも殺伐とした光景。
墓地とは、こういうところでしたかね。
お供えするのはいいでしょう。しかし、その後は考えないのでしょうかねえ。
みながそうしてやっているからいいんじゃない?
これは、私の住む地方のみのことなのでしょうか?
「みんながしているから。昔からそうしているから。故人が好きだったお供えを色々持っていこう。」
この単純な思考が、日本人の特徴。
時代は変わっているのです。ビニルは昔はなかった。
そもそも、お墓に食べ物を持って行っても、故人は食べられるわけはないのだから、無駄と言えば無駄。しかし、そこは日本人、食べるものに事欠いた時代は、お供えすることで故人への深い誠意を表し、それを代々伝えたのでしょう。先祖を大切に祀り、お供えする風習を否定するのではありません。
お墓はモニュメント。足を運び、美しい花を手向けて手を合わせれば、故人に対して十分誠意を尽くしたことになるのでは?
蛇足ですが。私の住む山間地では、近年、猪・熊・猿が人家の近くまで出没し、作物を荒らします。お墓の供物も例外ではありません。石碑が倒されたりもするとのこと。お墓への供物は、すべて持ち帰るようにとの通達が回りました。
やれやれ。おかげでお墓は散らからなくなりました。
この「後のことは考えない」思考、他にも、まだまだ気になります。
「原発」問題にもつながっている?
と思われてならないのは、
私だけ?
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