《5》

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  勤め出すようになってからは、一人でも来るようになった。 実家住まいの私には、こういう場所が必要だと実感したのだ。 仕事でストレスを感じた時。 恋が終わった時。 両親と喧嘩した時。 『帰りたくない』気持ちをそっと受け止めてくれる、貴重な空間。 ここはすぐに、お気に入りの場所になった。 「お待たせしました」 柔らかな声に顔を上げると、目の前にはフルートグラスが届いていた。 細かな泡がしゅわしゅわと、のぼってはじける。 「……いただきます」 誰に言うでもなく呟いて、グラスを手に取る。 ひんやりとしたガラスの感触。力を入れたら折れてしまいそうな繊細さ。それを口元へ運び……黄金色の液体を喉へと流す。 ……ああ、おいしい。 ほうっとひと息吐くと、バーテンダーが尋ねてきた。 「お気に召しましたか?」 「ええ。完璧よ」 「ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくり」 穏やかな笑みと共に、彼は私のテリトリーから外れる。 私はもう一口、シャンパンを含んで微笑んだ。 心の刺が少しずつ溶解していく場所。 ゆっくり一人になれる場所。 私が私に戻る場所。 この時間と空間は、私にとってかけがえのないものだわ。 .
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