第1話

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空には上弦の月が孤独に輝いていた。そんな月光も、地上のネオンの光には勝らない程弱々しいものだった。野町律也(のまち りつや)は昼のように眩しく光るネオンばかりの通りを歩いていた。周りの騒ぎ声も、彼の耳には入ってこなかった。丸々と肥太った中年の男に色目を使って近づくキャバクラの女。路地裏に女を連れ込んで犯す少年。死人の肉を口にして喜ぶ少女。公衆の前で何の躊躇いもなく人を殺す殺人鬼。薬物をバザーで売る暴力団。酒を片手に男達を手招きするオカマ。律也はあたかも彼等の姿が見えないかの様にその横を通り過ぎていく。律也は夜空で小さく光る月を見上げた。 「今夜もまた、月光は『シンジュク』のネオンに劣っているね」 左目の無い少年が律也の隣で呟いた。 「嗚呼、また今夜も眠らない街となりそうだ」 母は月見が好きで、よく表へ出て静かに夜空を見上げていた。十五夜には外にテーブルを出し、月見団子は出さなかったが、律也とケーキを食べたりなんかもした。 「私は月見をしている時と、貴方といる時が一番幸せなの」 律也は嬉しさと羞恥とが混ざりあって顔を赤らめたことを思い出した。 「母さんには月が嘸や美しく映ったんだな。俺には見えないよ、ネオンの光が眩しすぎて夜空の飾りにしか」 律也は狂った様に声を上げて笑った。周りには自分を馬鹿にする者はいない。ただしきりに笑った。だが、律也の目からは滴が流れ落ちていた。 「お兄さん、大丈夫?」 律也の前に細身の少年がやって来て尋ねた。しかし律也は笑い続けていた。少年は困った様に首を傾げ、それから持っていた瓶を振り回した。瓶の中には水が入っていたらしく、律也の服や顔にも付着した。律也は我に返り、目の前の少年に掴みかかった。 「何すんだよ!」 しかし少年は怯まずに手に持っていた瓶を彼の頭に叩きつけた。瓶は粉々に割れ、律也の頭にも幾らか刺さった。彼の顔を血が流れ落ちていく。 「お兄さん、何があったかは知らないけど人を無視するのはどうかと思うよ」 少年は微笑んでみせたが、彼の目に光は無く、深い闇を湛えていた。 「舞、何してんだ?」 更にもう一人の少年がやって来た。 「このお兄さん、ちょっと気が参っちゃったみたいだったから頭を冷やしてあげたの。お兄さん、せっかく会えたんだから俺達のこと教えてあげる。こっちを見て」
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