世界と理由と、彼らの存在に――

8/33
前へ
/253ページ
次へ
だから、相手の家のある地方へ行かなくちゃいけなくなった。 ビックリするくらい母親と歳の離れた人だけど、これが上品でシャレてんだよ。 新しい家族が増えることを躊躇っているのではなく、寧ろ嬉しそうに、島津君はスラスラ続けた。 「まぁ、そんなこんなで、佐藤にもちゃんと自分で伝えたいと思ってたから」 「……本当にいなくなっちゃうんだね」 「まぁ、死ぬわけじゃないし。やっと順風満帆だから、あっちではバイトしないで水泳に熱中しようかなー、とね」 自分とは打って変わってにこやかに話をする島津君。 本人を見る限り、転校は彼とってマイナスになるものではない。 「島津君ならどこでも上手くやっていけるはずだから、大丈夫だよ」 「だといいんだけどね」 「うん、大丈夫」 私は湿り気のあるつま先を見つめたまま、口角を上げて何度も頷く。 笑っていないと、駄目だと思った。 島津君みたいな人は、どこへ行っても好かれるだろうし、すぐに人気を集めるだろう。 もしかしたら、今よりずっと楽しい学校生活を送れるかもしれない。 「こっちにいる間に、楽しい思い出をたくさん作らなきゃだね」 行ってほしくないとか、悲しくなるとか、正直な気持ちを伝えることは出来なかった。 喉元に球体を埋め込んだような痛みを感じながら、私は、笑う。 「わざわざ教えてくれてありがとう。島津君、これから部活なんでしょ、行かなくていいの?」 「うん、もう行くよ。時間取らせて悪かったな」 「……ううん」 体育祭の競技中、私の唇が彼の頬に触れてから今まで、何となくギクシャクしていた。 いや、気まずく思っていたのは自分だけ。 目が合うと逸らし、気付かれないよう避けていた。 私は私で、精いっぱいだったんだ。 だから、こんな風に個人的に声をかけてもらえたこと、ありがたいと思っている。 「じゃあ、またな」 ニッ、と笑った彼は背を向け、売店を離れていく。 手を伸ばせばすぐに届く距離だったのに、突っ立ったままの私には、すぐに届かぬ距離となってしまい、そこでようやく本音が零れてしまった。 「……嫌だ」
/253ページ

最初のコメントを投稿しよう!

476人が本棚に入れています
本棚に追加