置き去りの世界を、ひたすらに抱き締めた

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それからは、もうこんなチャンスは二度とないと、数年に渡ってアタックを続けるのみ。 頭だけがよく、口下手で、真面目な僕は面白くない、と猿川は笑顔で言ってのけた。 「今は無理」 「じゃあ、OKになるまで待つよ」 「あんたねぇ、しつこいのよ。ストーカー?神保原君はホント物好きな人ねー」 彼女に付き合っている男がいる時も、諦めることはなかった。 めげない、負けない。 僕は猿川トモミがいいんだ。 彼女がヒーローに見えたあの時から、ずっと好きだった。 そんな想いが実ったのは、三十路の誕生日を数日前に控える日のこと。 もはや付き合ってくれ、ではなく結婚してくれ、と付き纏っていた僕に、彼女がOKを出してくれたのは青天の霹靂だった。 「ったく、仕方ないなー、もう。鬱陶しいから降参ですよはい」 僕を睨みつける猿川の瞳の中に、特別なあたたかさを感じたのは、その時が初めてだった。 島津、佐藤とほぼ同時期に式を挙げた僕達。 当時、水内は高校の時から付き合っていたハットリユメと既に結婚しており、彼は四人の子を持つ父親となっていた。 やがて僕の子を身籠ってくれたトモミは、4000グラムに近い元気な女の子を出産。 海のようにどこまでも広い心を持つ子に育ってほしい、と"ウミ子"と名付けた。 三人での暮らしは、僕にとって本当に幸せな毎日だったよ。 大好きな奥さんに、可愛い我が子。 二人の為に、今まで以上に真面目に仕事に取り組んだし、家族サービスだってたっぷり。 どんなに仕事が忙しくて体がきつくとも、毎週のようにどこかへ出かけ、トモミの機嫌を取る。 ありがとう、と言われるのが嬉しかった。 頼られるのが、嬉しかった。 僕は、心から二人を愛していた。 なのに、人生はそう上手くはいかない。 ウミ子が四歳の誕生日を迎えたその日、トモミは不慮の事故であっけなくこの世を去ってしまった。 相手の飲酒運転による、巻き込み事故だった。 人の人生とは、こんなにも簡単にへし折られるのか。 どうしてトモミだったのか。 いっそ自分あってほしかった。 まだ幼いウミ子と二人残された僕は、病院を辞め、個人薬局でパートとして働くようになった。 したことのない子供の世話に、料理に家事。 慌ただしくて泣く暇なんてなかったのに、それでも涙は枯れなかった。
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