置き去りの世界を、ひたすらに抱き締めた

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「私、この間お父さんと話をしたの。『HEART』を生産中止や回収を始めた理由、そしてお母さんについて」 卒業を迎えた日の帰り道、神保原は自転車を漕ぎながら話を始めた。 春風を受ける彼女は前を向いたまま、俺の方は見ない。 「溝田君はもう随分前から知っていたようね」 「あぁ、うん。……おじさんと二人で話をしたあの日、話を聞いてたよ」 「まさか猿川トモミが私の母親だなんてね」 いつか話をするだろう父親の姿を見て、自ら神保原に口を開くことはなかった。 心苦しさは感じていたが、これは俺の出る問題ではない。 「驚いた、よな」 「えぇ、だって猿川トモミは私のことが嫌いだったもの。コウタロウ君の友達であるあの子は、彼を縛りつける私のことをよく思っていなかった」 「トモミさん、情の厚い所あるもんな」 「でも、私だって自分を嫌いだと思う相手のこと、好きじゃなかったわ。苦手に思ってた」 ――じゃあ、聞かなきゃよかったって、思った……? しかし、俺達を照らす陽は柔らかく、同じように神保原の表情も、思いの外きつくはなかった。 「今思えば、あの刺々しい視線は、ある意味母親からのメッセージだったのかもしれないわね」 「え?」 「コウタロウ君の嫌がるようなことをやめなさい、人の心を傷つけるようなことはよしなさいってね」 そう言うと、神保原は道の途中でブレーキをかけ、頭上を見上げた。 薄桃色の桜のつぼみが膨らみかけている。 「例え、猿川トモミはお父さんが作り上げた人物でも、彼女は限りなく母親に近い存在。私、彼女に会えたこと、後悔していない」 徐々に、徐々に『HEART』から距離を置いていった神保原。 きっと俺の知らない所で、涙を流していた日もあったんだと思う。 それでも、自分に付き合うように現実世界での生活を重視し、共に歩んできた高校生活。 「神保原、ありがとな」 「急にどうしたのよ」 「大学は違うけど、たまにこうやって会おうな」 神保原は、俺にとってとても大切な人。 どんな縁でもいいから繋ぎ止め、これからも付き合いたい人だった。
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