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『――怖、かった。』
怯えた小動物のように、小刻みに震えていた肩。
『もう……ダメかと……思っ……。』
あと少し遅かったなら、こんな呑気に彼女をあやしてられなかっただろう。
(――もっと、しっかりしないといけない。)
きっと一週間前の時点で亜希に声を掛けていれば、こんな事態には陥らなかった。
(石松先生なら、もっと上手く悩みを聞き出してたんだろうな……。)
同僚の誰もが「進藤は手が掛からない」と言っていた中で、石松だけは「気に掛けるように」と言っていた。
――亀の甲より、年の功。
石松はそう言っていたが、自分が教師を続けたとして、あんな風になれるだろうか。
久保は目を伏せると、自分のこれからの事を考えた。
親に用意された人生から逃げるように日本に来て、興味のあった「源氏物語」を勉強することはできたが、その後についてはほぼ思い付きのように生きてきた。
「もう『自由』だ。これからは自分のために生きてみろ。」
「……自分のため?」
「ああ。自分の目や耳で見聞きして、選ぶ。誰かに用意された人生を歩むより、それはずっと難しい。」
そう祖父に言われた時に、世界が変わって見えた。
――そして、今。
高校、大学と日本に移り住んで、この国のぬるま湯のような感覚に浸かっていく。
大学を出るまでは、色々な事が大目に見られる社会。
しかし、それに胡坐を掻いては、それは「自由」ではなく、「怠惰」に変わる。
――Liberty means responsibility.(自由は責任を意味する。)
他国の価値観を知っている自分にとって、それは身につまされるものであっても、この国に生まれ育った子供たちは、そんな事を思うだろうか。
はじめから与えられている「自由」が、どんなに得難く脆いものかも知らずに。
(……どうやったら、それを伝えられるだろう。)
説教染みて言ったところで、きっと意味がない。
隣で眠る亜希を眺めながら、久保はため息を吐いた。
――もっとちゃんと「教師」になりたい。
職業としての「教師」ではなく。
ちゃんと教え、導けるように。
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