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久保は出来るだけ平静を装いながら、話題を胃の痛みの話に元に戻した。
「……さっき、胃袋を雑巾絞りされてるみたいって言ってたけど、まだ痛むのか?」
「うん……、まだちょっと。」
「――そうか。」
亜希の頼りなげな声を聞きながら、布団越しに抱き締めている力がこれ以上強くならない内に離れようと、久保は思った。
何食わぬ顔を装うのもそろそろ限界だ。
亜希が僅かに頭を動かす度に、誘惑が甘く鼻腔をくすぐってくる。
理性は抜けかけの乳歯みたいにぐらぐらと揺れて、このまま抱き潰したい衝動に駆られる。
――早く離れなくては。
――このままだと、止まれなくなる。
久保はごくりと生唾を飲むと、出来るだけ平静を装って亜希と話す。
「――その痛み、きっと胃痙攣だな。」
「胃痙攣?」
「ああ。」
そして、亜希に「ちょっと待ってろ」と言いながら、ずるずるとベッドを抜け出す。
円らな瞳で縋るように亜希に見つめられると、いよいよ頭の中で警告音が響き始める。
「――すぐに、戻る、から。」
そう言いながら、急いで保健室のドアを出る。
――長い廊下。
それを一気に走り抜け、久保は宿直室に入ると、乱暴にドアを閉めた。
かなり長い間、息を吸い忘れていたみたいで、肩で息をする。
(……何なんだよ。)
ずるずると足から力が抜けて、その場にしゃがみこむ。
(あれは反則だろ……。)
数度、深呼吸を繰り返す。
あともう少し長く、亜希の隣に居たなら、理性がどこかに消し飛んでいたに違いない。
まだ心臓が野を駆け回るウサギのそれのように飛び跳ねている。
――顔が異様に熱い。
口元に手を当てる。
そうしないと、まだ口から心臓が飛び出て来そうな気がした。
(……あ、危なかった。)
そして、亜希を抱き締めていた感覚を思い起こして、深いため息を洩らす。
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