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筆の走る音。
時計の音。
クーラーが発する低い機械音。
分厚い壁を通しても聞こえる蝉の声。
3人の人間の息づかい。
部屋には2人のテンサイがいる。
天才なのか、天災なのか知らないが、自分の家族の中にライバルを見つけてしまったことは、幸か不幸か……。
僕は昨日描いた、みく先輩の絵の修正作業をしていた。
先生はなにか物言いたそうな表情をしていたが、いくつかの修正点を示しただけで、今日もスケッチブック片手に、部屋をうろついている。
みく先輩の画布には、かかしが乱立する稲穂の金色が塗り重ねられていく。
そのかかし達は、同じもののない、愛嬌に富んだ顔や服装をしている。
中には、スーツや宇宙服を着たものまでいた。
オズの魔法使いを連想する。
なんとも微笑ましい。
僕の視線に気がつくと、先輩は『こら』と、口だけ動かして笑った。
「いや、上手くなったな」
『は?』
背後からの声に、思わず言葉が重なる。
先生は、そんな2人を、同じように不思議なサングラスで覗き込んでいた。
首をひねる。
先生が他人の絵を誉めるだなんて、どうしてしまったのだろうか。
もしかしたら、一昨日、本当に拾い食いしたのかも知れない。
その可能性は捨てきれなかった。
僕とは対照的に、みく先輩の神経が、目に見えて逆立っていくもの良く分かった。
「……なにか気になる点でも?」
耐えきなかったのか、先に先輩が口を開いた。
「上手くなったと言ったんだが」
スケッチブックを閉じて、道夫先生が目を細める。
「なにか気に障ったか?」
「別になにもありません」
先輩が時計に目を向けるように、自然に視線を逸らす。
「そろそろ昼だな。ちょっとでかけてくるから、後は自習にする」
「ずっと? そんなにどちらへ?」
「仕事の件で、人と会う約束がある。
お互いにぶっきらぼうに言って、先生はそれ以上なにも告げずに部屋を出ていった。
「……珍しいですね、仕事とは言え、先生が人と直接会うのは」
椅子を離れ、窓越しに先生が駅方向に向かうのを見送る。
ぎらぎらとした光に外の暑さを感じ、手が微かに汗ばむ。
「仕事、ね……次はどんな気持ち悪い絵を描くのか知らないけど」
背後から、冷たさを隠すことのない、先輩の声が聞こえる。
「……なんでそんなに嫌ってるんです?」
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